歴史小ばなし

加賀藩前田家と北陸銀行のつながり

明治10年8月26日、北陸銀行の前身「金沢第十二国立銀行」は、資本金の7割を加賀前田家から、残りを北前船の船主であった豪商などの出資により創業しました。
当時は本店を前田家御用弁方事務所内に置き、初代頭取には加賀藩の軍艦奉行などの要職を歴任した小幡和平が就任するなど、前田家とは深い関わりにあります。

小幡和平直筆の書簡を展示しています

金沢第十二国立銀行開業免状
金沢第十二国立銀行開業免状

どうして北海道に「北陸」銀行?

北陸銀行の前身である十二銀行が初めて北海道に進出したのは、明治32年小樽支店開設のときで、国策銀行である旧北海道拓殖銀行ができる約半年前のことでした。北海道開拓の時代、ピーク時には入植者の3割は北陸出身者が占めるなど、北陸3県から北海道への移住は盛んに行われていました。
十二銀行は、北陸の米穀商や海運業者をはじめ開拓地で事業を始めた移住者への支援のために、北海道に進出したのです。その後、札幌、旭川、江別、函館と支店網を延ばし、北海道に根を下ろしていきました。

明治40年頃の石川県から函館上陸の移住者
明治40年頃の石川県から
函館上陸の移住者

歴史の舞台にもなった十二銀行 米騒動発祥の地―十二銀行 魚津支店

大正7年(1918年)7月23日、魚津町に、北海道への米の輸送を行うため、「伊吹丸」が寄航しました。
おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら十数人が、十二銀行 魚津支店の倉庫前に集まり、米の船積みを中止して住民に販売するよう求めました。
この騒動は、新聞に「越中女一揆」として報道され、県内の他の地区、更には全国各地に拡散していきました。

※大阪堂島の米市場の記録によれば、大正7年1月に1石15円だった米価は、6月には20円を超え、翌年7月には30円を超える異常事態となっていた。(当時の一般社会人の月収は18~25円)

歴史の舞台にもなった十二銀行
十二銀行 魚津支店

現在の本店はいつから今の場所に?

数度の移転・建て替えが行われている本店ですが、現在地に建ったのは、明治16年。当時は北陸銀行の前身である富山第百二十三国立銀行の本店でした(当時の富山市袋町)。
現在の本店は昭和36年に建てられたもので、平成25年に国の有形文化財として登録されています。

富山第百二十三国立銀行本店・十二銀行本店戦後の本店・現本店

明治16年 富山第百二十三国立銀行本店として現在地(富山市袋町)に移転
明治32年 大火で焼失
明治33年 店舗新築(十二銀行本店)
昭和18年 北陸銀行設立。十二銀行本店を北陸銀行本店とする
昭和23年 空襲で一部損壊したため新築
昭和36年11月 現在の本店が完成

支店開設地から小判発掘!

昭和49年、大阪日本橋筋一丁目、通称「日本一」の大阪南支店新築工事現場から文政小判が大量に出土しました。小判は全部で339枚で三三九度に語呂が通じ、また発掘日は2月14日のバレンタインデー。何とも愛に満ちた小判です。
この小判、6ヶ月経っても持ち主が現れず、発見者の大林組と当行で折半しましたが、文化財保護の観点から当行が買い取り、現在は本店の「金融歴史資料館」で一般公開しています。

発掘された小判を実際にご覧いただけます

支店開設地から小判発掘

行章 今・昔

現在の行章は、北陸銀行創業100周年の昭和52年に改定されたものです。それまでの行章は、昭和18年、四行合併による北陸銀行創立時に制定されたもので、北陸銀行の「北」をカタカナの「リク」で囲んだデザインでした。
創業100周年に改定された行章は、昭和62年のロゴマークの導入に伴って家紋のような位置づけになり、バッジ等に使用しないこととなりましたが、創立70周年を迎えた平成25年7月から着用を復活しています。

現在の行章について

支店開設地から小判発掘